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#1 江隅区は今日も平和である

 星歴0年、あるいは西暦20XX年。世界中が血と煙と油にまみれ、人類も地球も戦いの中に滅びるかに思われた時。黒煙に覆われた空から一筋の光が差し込んだ。星連の惑星探査隊が地球に降り立ったのである。

 戦場の只中に着陸した、今は亡きエッフェル塔を逆さにしたような形の宇宙船から出てきた生物は二足歩行をしていた。更に言えば色素の薄い頭髪と均整の取れた体、凛々しい顔を持ち、白い菱形が内接した模様の赤い瞳をしていた。彼は典型的な天神星人であり、星連の第7象限探査隊長であった。

 すぐさま星連軍が応援に駆け付け、圧倒的武力でもって地球の内紛を鎮めてしまった。星連は比較的被害の少なかったメルボルンを首都に指定し、この星を「地球」という一国に統合させた。

できたての地球政府は二択を迫られる。「星間連合に加盟するか否か」…前者は安全保障の代償として星連の序列に基づく法に支配される事を、後者は弱肉強食の宇宙社会へ放り出され、異星からの侵略を受ける危険に常に晒される事を意味する。内紛を終え、あらゆる資源の枯渇した星の正常な新政府は誰が見ても正しい決断を下した。

 

 

 「こうして第三次世界大戦の終結と共に地球は一つの国となり、星連序列D級星として宇宙社会へ進出する事となったのである。……戸吹、聞いてねえなら出てってくれや」

 だるそうに教本を読み上げていた教師がやや声を張った。名指しされた少年は、依然として頬杖をついたまま窓の外を眺めていた。慌てて携帯端末を収める音、ハッと居眠りから覚めた者の緊張感、優等生達からの白けた視線、他の生徒の無関心を感じながら、

 (………帰ろう)

 世界史Bと書かれた表紙を静かに閉じ、机に仕舞い込んで、少年――戸吹唯人は立ち上がった。

 

 

 宇宙人が地球中を闊歩していたのは戦争終結から30年間の話だ。星歴20年以降、地球へ移住する宇宙人の急激な増加に伴い犯罪件数は急増し、地球の自治力の低下が危ぶまれた。「内乱を二度と起こさぬように」と星連が地球の軍隊をことごとく解散させ武装を固く禁じたために、警察さえも宇宙人犯罪者へ対抗する力を失っていた。

 星歴31年、星連によって発布された隔離条例によって宇宙人の地球内への立ち入りが「外交特区塔京」に制限された。それまで地球の至る所に存在していた宇宙人は母星へ帰還するか外交特区へ移住する事を余儀なくされた。星歴35年の隔離条例施行時までには、在留する全ての宇宙人が外交特区塔京の外周区または港区に住居の移転を完了させた。同時に外周区及び塔京港における国境警備の増強、特区内の治安維持のため、対宇宙人特別警察が結成された。この警察は星連より特例として武装を許可され、正式名称を「地球防衛軍」といった。

 

 

 星歴42年5月18日、日本 千葉県 江隅区。

 前方には隅田川。その向こうには塔京外周区の高層ビル群、中央区の超高層ビル群。ビル群中央に聳え立つセンタータワーは夕日を受け煌めき、地上から天へ伸びる光の梯子のよう。薄い鞄を日よけにしつつも、唯人は眩しさに目を細めた。デモ隊がひしめく大通りを外れ路地へ入る。「特区化反対!」「江隅区は第三地区じゃない!」「宇宙人を入れるな!」大勢の人間がプラカードを掲げ歩道を占領しながら声高に叫び何処かへと突き進んで行く。西日の入らないビルの隙間は行進の騒音を僅かに拾って反響させた。

 小奇麗な路地を進んで行くと、唯人の耳の真横でビルの窓が勢い良く開き、身を乗り出して来た男と目が合った。いかにも賢そうな銀縁眼鏡の奥の無機質な灰色の瞳。西洋人、年齢は三十代半ばだろうか。焦った顔で窓枠に両手を掛け、更に片足を上げている。濃灰色の細いスーツだ。きっちりと七対三に分けられた白髪は夕日も浴びていないのに薄く赤みを帯びていた。男は唯人の方を見たまま窓から飛び出し、嫌な音と共にコンクリートタイルへ膝から着地した。

 (今のは痛いな)

 渋い顔をして静かに見下ろす唯人に、膝をおさえ涙目になりながらも男は言った。

 「そこの少年!ここは危ない、はやく退避するんだ」

 このおっさんは何を言っているのかと考えかけ、男が出てきた部屋の奥から複数の足音と猛烈な怒気を察知した。唯人は窓を閉め、さらにシャッターを下ろしてみた。

 重い鉄の幕が下がりきった直後、2秒で29回の破裂音が響いた。窓ガラスは容易に砕けシャッターは穴だらけになってひしゃげ、男に手を貸そうと屈んだ唯人の頭上を小さな鉄の塊が乱れ飛んだ。轟音の余韻に脳を押し潰されそうになりながら、唯人は身を低くして屋内を窺った。若者が三人見えた。黒い箱を歪に継ぎ接ぎ合せたようなものを各々抱えている。星連が地球人から武器を取り上げてから早40年、唯人はそれがかつて人を殺す最も一般的だった飛び道具であると理解し、視線をスーツの男に戻した。

 「おいおっさん、何だあいつらは」

 「おっさ…」

 男はムッと眉根を寄せたが、襲撃者がシャッターを開こうと接近するのを認め、指で「ついてこい」と合図した。鋼鉄のシャッターは穴が開き歪むも中からはそう簡単に開かない。奴らが迂回してくる前にと二人は中腰で静かにその場を離れた。

 路地を戻り大通りへ出ると、デモ隊のど真ん中にぶち当たった。唯人は行進に飲みこまれながら再びの襲撃を警戒する。追っ手の気配はない、上手く人混みに紛れる事が出来たようだ。男は居心地が悪そうに人波に押し流されデモ隊のプラカードを眺めていた。

 「おっさん」

 「君の気転のおかげで助かったよ、礼を言おう。だが私はおっさんというほどの年ではない」

 高1から見りゃおっさんだ、と言う必要のないセリフは飲み込んで唯人は男に質問を浴びせかけた。

 「何なんだあいつらは。なんで“銃“なんか持ってる」

 「好奇心旺盛なのも結構だが、余計な事に首をつっこむと寿命が減るぞ、少年」

 唯人は決して好奇心旺盛な性格ではない。むしろその逆だ。珍しく興味が湧いただけだ。殺気に当てられ興奮していたのかもしれない。ようやく行進から抜け出すと、男は力尽きたように歩道の端のガードレールに腰を下ろした。

 「外交特区塔京の拡大にあたって、ここ江隅区が外交特区第三地区として解放される計画は知っているね。奴らは江隅区保守過激派の連中だ。私を殺せば特区化を中止できると思っている…全く困ったものだ。銃は闇市で買ったんだろう。」

 「あんた……政府のお偉いさんか何かか?」

 「私の顔を知らないとは…学生なら社会情勢にも少しは興味を持ちたまえ」

 「うるせえな、ニュースなんか見たって何の役にも立たねえよ」

 男は呆れて半目になり、ブスッとした唯人を見て疲れたように笑った。

 「はは…知らないならいいさ。今日も特区化のための視察をしていたのだが、一人で出歩くのは無謀すぎたかな」

 「ボディーガードとか付けねえのかよ」

 「この江隅区にまさか武装した地球人がいるとは、さすがに予想できなかったのでね…」

 武装=銃を持っている、という考えからして甘い。武器など無くても武装はできる。説教の仕返しに言ってやろうと口を開きかけた時、唯人は先程の殺気が接近するのを感じ男の腕を掴んで隅田川の方へ走り出した。夕日が目に刺さるのも構わず橋を目指す。

 「さっさと塔京へ帰れよ。国境超えてまでは追って来れねえだろ」

 「ああ、応援は呼んであるからな。あんな奴ら捕まえてもらうさ」

 背後から追っ手の怒声と通行人の悲鳴を聞き、唯人は男の腕を離して振り返った。歩道の人波が割れた。中央を襲撃者の一人が銃を抱えて駆けて来る。帽子を目深に被ったその若者はこう叫んでいた。

 「死ね、トルーマン!俺たちの街を売らせはしねえ!」

 飛び道具の使い方を知らないのだろうか。あるいは近距離でなければ当てる自信が無いのか。銃を抱えたまま走る若者を正面に見据え、唯人は足を開き灰色のタイルを踏みしめて鞄を振りかぶる。投げられた薄い鞄は回転しながら空を裂き、若者の額にめり込んだ。倒れる若者に背を向け再び走り出そうとした唯人の目に、ビルの陰から飛び出し男へと銃を向けるもう一人の襲撃者の姿が映った。

 「おっさん!」

 唯人の叫びが男の耳に届くより早く、襲撃者は引き金に指をかけ――右肩を何かに貫かれて倒れた。遅れて小気味の良い破裂音が川向こうから響く。倒れる仲間の背後で三人目の襲撃者は、その光景に慄きながらもなお男を殺そうと彼に銃口を向けた。夕日に白髪を赤く染められた男は小さく笑みを溢しているようだった。

 突如襲撃者の頭上にかかる大きな影。彼が見上げた先にあったのはジュラルミンの盾であった。次の瞬間には顔面に叩きつけられた盾に鼻っ柱を折られ、地面へと沈んでいた。

 その軍人が右腕一本で頭上近くまで巨大な盾を持ち上げ振り下ろすのを、唯人はただ茫然と見ていた。背は高いがそこまで筋肉があるようにも見えない若い軍人。濃灰色の後ろ髪を低い位置で雑に結び、前髪を逆立てた額には大きな傷が見える。手錠を取り出し手際よく襲撃者を後ろ手に拘束すると、通信機を刺した耳に手を当て川向こうの狙撃手へ怒鳴った。

 「チャン!てめえおっせえんだよ!何で徒歩のあたしと同着なんだ?走れっつったじゃねーかデブ!」

 「赤沼二尉」

 血まみれでのびている襲撃者を見やりながら、男は咳払いを一つして声を掛けた。

 「相手は地球人だ、少しは手加減したらどうかね」

 「いやいや、地球人だからですよ、長官補どの」

 軍人は面倒くさそうに男に向き直り、首をかしげた。

 「クソ野郎をうっかり殺しても星連にしょっ引かれない、こんなやりやすい相手がいるかってんだ」

 人間離れした怪力の、実力を伴う物騒発言に少し恐ろしくもなった唯人に気づいてか、男は

 「まあ、それもそうだな」

 などと悪そうに微笑んだ。

 

 

 湿気た団地の階段を上がり鍵の開いた自宅の扉を開く。アダルトビデオの耳障りな音声が今日は聞こえない。家主は鍵も掛けずに留守にしているらしい。盗まれるような財産は無いので構わないのだろうが。二度と帰って来るなと思いながら戸締りをする。

 制服を脱ぎ着替えようとして、ズボンのポケットに仕舞った長方形の厚紙の存在を思い出した。いかにも高級な質感のその紙片には「地球防衛軍 長官補佐 John Trueman」と書かれている。軍人を従え、颯爽と去る男の後ろ姿が脳裏に浮かんだ。 

 ドアノブを回そうとする喧しい音。続いて連打される間延びしたインターホン、酒で焼けた喉から発せられる男の罵声。一瞬で引きもどされた下らない現実に微かに溜め息をつき、唯人は灰色のパーカーを羽織った。生気のない目でゴミ箱へ手を伸ばす。

 『君は命の恩人だ、もし何かあったら恩返しをさせてくれ』

 そんな言葉と共に男が差し出した名刺を丁寧に破りながら、今日はどこで夜を明かそうか考えていた。

 

 

 

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